作家たちのセーヌ左岸、サン・ルイ島からサン・ジェルマン・デ・プレへ

サン・ルイ島からサン・ジェルマン・デ・プレの街路まで、7か所に立ち寄ります。彫刻が生まれ、原稿が書かれ、大量のコーヒーが飲まれ、声高に世界が論じられた場所です。電動アシスト自転車で約3時間、少人数で巡ります。コースの途中で休憩をはさみますが、飲食された場合の代金はお客様のご負担となります。

このサイクリングは、フランス語または英語のみで実施されます。このページは、お客様がコースをお選びいただき、お申し込みいただけるように翻訳したものです。当日、同行スタッフがお話しするのはフランス語または英語のいずれかで、どちらをご希望かはお申し込みの際にご指定ください。

コースの中心は6キロメートルの範囲に収まり、そこに出発地との往復が加わって、全体で約13キロメートルになります。この6キロメートルのなかに、サン・ルイ島、サント・ジュヌヴィエーヴの丘、ムフタール通り、リュクサンブール、サン・ジェルマン・デ・プレが収まっています。徒歩なら、午後をまるごと使ってその三分の一というところでしょう。電動アシスト自転車なら、パンテオンへの坂で汗をかくこともなくすべてをつなげられますし、扉の前で足を止める時間も残ります。立ち寄りは7か所、同行スタッフが1名。そして、ただの建物が、誰かの暮らした番地としてよみがえります。14年間彫刻を続けた末に30年間閉じ込められた人の住所、暖房がないから書いていた人の住所、1770年に去った劇場の名を通りがいまも名乗っている住所です。

パリの作家たちが残したのは、記念プレートよりも逸話のほうでした。カミーユ・クローデルはブルボン河岸に暮らし、1899年から1913年3月に精神病院へ収容されるまで彫刻を続けました。互いに嫌い合っていたヴォルテールとルソーは、パンテオンの地下納骨堂で向かい合ったまま永遠を過ごしています。この地下納骨堂は中に入らなければ見られず、料金には含まれていません。デカルトは1819年にサン・ジェルマン・デ・プレへ戻ってきましたが、頭蓋骨は道中で行方知れずのままでした。ヘミングウェイは、ムフタール通りから100メートルの、お湯の出ない二間の部屋でパリでの最初の原稿を書いています。歩道から、広場から、ファサードをひとつずつたどりながら探しにいくのは、こうした物語です。

このサイクリングは、他のお客様とご一緒する乗り合いと、お客様だけの貸切のいずれかでお申し込みいただけます。目安料金は税込で、乗り合いがお一人あたり75ユーロ、貸切がお一人あたり95ユーロです。グループ一括の料金ではございません。電動アシスト自転車とヘルメットは料金に含まれます。最終的な料金、日程、集合場所は、お支払いの前に書面でご確認いただきます。お申し込みの時点では、まだ確定した予約ではありません。1グループの参加者は同行スタッフ1名につき5名までです。5名を超える場合は、空き状況しだいで同時進行のもう1グループをご用意できる可能性がありますが、その可否と料金は書面でお知らせします。コースの途中で休憩をとります。当社はいかなる店舗とも提携しておらず、席の予約も料金の交渉もいたしません。何かを召し上がった場合の代金はお客様のご負担で、料金には一切含まれません。出発はパリ7区で、同じ場所に戻ります。

有料の入場、建物内部の見学、飲食は、いずれも料金に含まれません。パンテオン、サン・ジェルマン・デ・プレ教会、ドラクロワのアトリエは、広場や教会前の広場から解説します。どこをあとから歩いて訪ね直す価値があるか、どの順番で回るとよいかは、同行スタッフがお伝えします。

コースの途中で

作家たちのセーヌ左岸、サン・ルイ島からサン・ジェルマン・デ・プレへ

サン・ルイ島

1614年まで街から切り離されたままだった、二つの中州です。この年、両者を隔てていた水路が、現在のプルティエ通りの位置で埋め立てられました。クリストフ・マリーは二人の共同出資者とともに、橋を架けて全体を宅地化する代わりに、その土地を売る権利を得ています。中央を貫く1本の通り、二列の河岸、そして3本の横断路という区画は1660年ごろに完成し、いま脇を走るファサードの大半は17世紀のものです。ブルボン河岸19番地では、カミーユ・クローデルが1899年から、家族の求めで精神病院に収容された1913年3月10日まで暮らし、彫刻を続けました。ここでの14年の仕事のあと、1943年に亡くなるまで30年の収容生活が続きます。その作品が本当に再発見されたのは、1980年代になってからでした。

カルチェ・ラタンとパンテオン

ヴォルテールとルソーは、生前あれほど激しく憎み合いながら、地下納骨堂で向かい合って眠っています。1755年8月30日、ヴォルテールは『人間不平等起源論』についてルソーにこう書き送りました。「人間を獣にしようとして、これほど多くの才知が費やされたことはかつてありません。あなたの著作を読んでいると、四つん這いで歩きたくなってきます」。マリー・キュリーが迎えられたのは1995年で、自身の功績によって入った最初の女性です。残留放射能のため、棺は鉛で内張りされています。フランス国立図書館に保管されている実験ノートはいまなお放射線を出しており、厳格な手続きのもとでしか閲覧できません。そしてこの円蓋の下で、フーコーは1851年、67メートルの糸に28キロの球を吊るし、地球の自転を肉眼で見えるようにしました。地下納骨堂も振り子も内部のすべても、中に入らなければ見られず、料金には含まれていません。立ち寄りは広場で行います。

コントレスカルプ広場とムフタール通り

「ムフ」の愛称で呼ばれる通りの界隈、ヘミングウェイがパリで過ごした最初の数年の舞台です。1922年1月から1923年8月まで、彼は妻ハドリーとカルディナル・ルモワーヌ通り74番地に住んでいました。お湯もトイレもない二間の部屋で、広場からは100メートルの距離です。建物のファサードに掲げられたプレートが、この界隈こそ彼の作品と、彼を有名にしたそぎ落とされた文体の本当の揺籃だったことを伝えています。傾いた石畳、通りの市場、間口の狭い建物。栄光のパリではなく出発点のパリであり、パンテオンから10分のところに、村のような尺度をいまも保っています。

リュクサンブール公園

この庭園はフランス上院の管理下にあり、その規則により、内部ではあらゆる車両とあらゆる移動手段の通行および駐輪が、動力の有無を問わず禁じられています。自転車は外周のラックにつないだままにし、見張りは付きませんので、この立ち寄りは徒歩で行います。池のまわりの動かせる金属椅子、チェスを指す人たち、階段で試験勉強をする学生たち。この情景はほとんど変わっておらず、フランス文学の何ページもを養ってきました。10分ほどひと息つくのにちょうどよい場所です。

サン・ジェルマン・デ・プレ広場と教会

目の前の鐘楼は990年から1014年にかけて建てられた、パリ最古の鐘楼です。矢狭間、わざと入り組ませた階段、天守のような佇まいを備え、クロヴィスの息子キルデベルトが6世紀に創建したベネディクト会修道院の、最後の名残です。内部にはデカルトが眠っています。1819年2月26日、ベネディクト会の二人の碩学マビヨンとモンフォーコンに挟まれる形でここへ運ばれましたが、頭蓋骨はありません。それ以前の改葬の際に失われ、収集家から収集家へと渡り歩いた末、いまは人類博物館の収蔵庫にあります。広場を囲むカフェは、占領期にサルトルとボーヴォワールの仕事場になりました。自宅とちがって暖かかったからです。戦後は、界隈の地下蔵がジャズでその役目を引き継ぎます。解説は教会前の広場から行います。教会にも店にも入りませんし、飲食は料金に含まれていません。

フュルステンベール広場

パリで最も小さな広場のひとつです。木が4本、街灯が1本、そして隣の中庭の奥、フュルステンベール通り6番地にドラクロワのアトリエがあります。彼は1857年12月28日にここへ移ってきました。礼拝堂の装飾を手がけていたサン・シュルピス教会の現場から遠すぎるアトリエを、引き払ってのことです。そして1863年8月13日、跡継ぎも弟子も持たないまま、この場所で亡くなりました。現在は国立美術館になっていますが、入場料は料金に含まれておらず、立ち寄りは広場で行います。ドラクロワはタレーランの隠し子だという噂が長く語られてきました。年を重ねたタレーランとの容貌の一致はたしかに気になるところですが、証拠はひとつもなく、噂は噂のままです。

アンシエンヌ・コメディ通りとコメルス・サンタンドレ小路

この通りの名は、いまはない劇場に由来します。コメディ・フランセーズは1689年に14番地へ移り、ラシーヌの『フェードル』とモリエールの『いやいやながら医者にされ』でこけら落としを行いましたが、役者を隣人に持つことに憤慨したソルボンヌの神学者たちの圧力で、1770年に立ち退きを余儀なくされます。そのころ劇場の向かいに開いたカフェは、パリで最初の大きな公共サロンになりました。新聞が声に出して読まれ、『百科全書』が論じられ、ヴォルテールは1日に40杯まで飲んだと言われますが、誰も確かめたことはありません。すぐそばのコメルス・サンタンドレ小路は、いまも18世紀とほとんど変わらない姿で通り抜けられます。8番地では、マラーの新聞『人民の友』が刷られていました。百科全書派と革命家たちを隔てるのは一世代分です。同じテーブルでありながら、着いている顔ぶれは違います。解説はすべて、公共の通りと小路から行います。

実用情報
所要時間
約3時間、立ち寄りと休憩を含みます。距離は約13キロメートル、パリ7区を出発して同じ場所に戻ります
レベル
やさしいレベルです。パンテオンへの上り坂は電動アシストが引き受けます。ただし自転車に乗れること、パリの交通のなかで落ち着いて走れることが必要で、コースには一般の車道が含まれます。各立ち寄りは、自転車を押して歩くか、施錠して離れる形で行います。リュクサンブール公園ではフランス上院の規則により、自転車を外周に施錠したまま置くことになり、見張りは付きません。年齢の下限を含む参加条件は、お申し込みの際にお知らせします
出発
パリ7区を出発し、同じ場所に戻ります。集合場所の正確な住所は、お申し込みの際に書面でお知らせします
グループ
同行スタッフ1名につき参加者5名まで。5名を超える場合は、空き状況しだいで同時進行のもう1グループをご用意できる可能性がありますが、その可否と料金は書面でお知らせします
言語
フランス語または英語。お申し込みの際にご指定ください

お申し込みはリクエストであり、確定した予約ではありません。実施の可否、日程、集合場所、最終的な料金は、お支払いの前にすべて書面でご確認いただきます。料金はお一人あたりの目安で、税込です。電動アシスト自転車とヘルメットの利用料を含みます。有料の入場や建物内部の見学は一切含まれません。解説は通り、聖堂前の広場、橋の上から行います。

このサイクリングについてよくあるご質問

休憩は料金に含まれますか。

いいえ。料金に含まれるのは、電動アシスト自転車、ヘルメット、そしてコースの間ずっと付き添う同行スタッフです。飲食は一切含まれておらず、休憩中に何かを召し上がった場合は、お客様のご負担となります。休憩の場所は、その日の混雑状況と選んだ経路に応じて当日決めます。当社はいかなる店舗とも提携しておらず、席の予約も料金の交渉もいたしません。

パンテオンや教会、カフェの中には入りますか。

いいえ。料金には、有料の入場、建物内部の見学、飲食のいずれも含まれません。解説はすべて、通り、広場、教会前の広場、あるいは公共の小路から行います。これはパンテオンとその地下納骨堂、サン・ジェルマン・デ・プレ教会、そして国立美術館となったドラクロワのアトリエについても同じです。空いている午後が半日しかないという方には、どこをあとから歩いて訪ね直す価値があるか、どの順番で回るとよいかを、同行スタッフがお伝えします。

取り上げられる作家の作品を読んでおく必要はありますか。

いいえ。作品よりも先に、その人自身のことをお話しします。住所、仲たがい、借金、そして大量のコーヒーです。ヘミングウェイやボーヴォワールをお読みでしたら、見覚えのある場所に出会えるでしょう。読んでいなくても、これから読みたい本のリストを持ち帰っていただけます。

自転車で走るのは大変ですか。

距離は約13キロメートル、パリ7区を出発して同じ場所に戻ります。経路はできるかぎり自転車道や静かな通りを選びますが、一般の車道も通ります。自転車に乗れること、パリの交通のなかで落ち着いて走れることが必要です。パンテオンへの上り坂は電動アシストが引き受けます。出発前に数分の慣らし走行の時間をとり、走る速さはグループに合わせます。その逆ではありません。

予約はどのように進みますか。

ご希望の日程、コース、参加人数をお知らせください。この時点では、まだ確定した予約ではありません。当社から時間帯、集合場所、税込の最終的な料金をご連絡し、お支払いの前に書面でご確認いただきます。このサイクリングはあらかじめ合意した日程に実施されるため、フランス法上、14日間のクーリングオフ(撤回権)は適用されません(フランス消費法典 L. 221-28条12号)。管轄の消費者調停機関などを記載した当社の販売約款は、ページ下部からご覧いただけます。

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お申し込みはリクエストであり、確定した予約ではありません。実施の可否、日程、集合場所、最終的な料金は、お支払いの前にすべて書面でご確認いただきます。料金はお一人あたりの目安で、税込です。電動アシスト自転車とヘルメットの利用料を含みます。有料の入場や建物内部の見学は一切含まれません。解説は通り、聖堂前の広場、橋の上から行います。

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