バスティーユ広場
最初に立つのは、主役だった建物が消えてしまった広場です。1789年7月14日の夕方には、早くも請負業者パロワが要塞に取りかかり、2日後には解体工事を受注します。続く数か月で約1000人の職人がこれを解体し、切石はこのコースの反対の端にあるコンコルド橋に使われました。パロワは残りの石を削って83個のバスティーユの模型を作り、新しく置かれた県に送っています。陥落の当日、この牢獄にいたのはわずか7人でした。贋金作りが4人、精神を病んで収容されていた男性が2人、そして家族の求めで閉じ込められていた貴族が1人です。広場にそびえる青銅の円柱は1840年に建てられ、頂に金色の球と「自由の精霊」像を戴いていますが、記念しているのは1789年ではなく、1830年7月の栄光の三日間です。